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ともに学ぶ。わたしの権利

October 6, 2016

11月6日に、ドキュメンタリー映画「みんなの学校」の上映会があります。私はおおよそ1年ほど前にこの映画を観ているのですが、また上映会へ足を運ぼうと思っています。みなさんにも、ぜひぜひお勧めです。

 

「みんなの学校」は、大阪にある「大空小学校」という公立の小学校を舞台にしたドキュメンタリー映画です。大空小学校では、木村泰子校長の「すべての子どもの学習権を保証する」という理念のもと「不登校ゼロ」を目指しています。なかでも大空小学校の取り組みで注目されているのは、大空小学校では特別支援教室を作らずに、特別支援教育の対象になる子どもたちもみんな同じ教室で学んでいるということ。全校児童数220人のうち(特別な)支援を必要とする子どもが30人を超えるそうですが映画撮影当時)、子どもたちや教職員だけではなく、保護者や地域の人々が一緒になって、誰もが通い続けることができる学校を作り上げてきました。映画の冒頭で、校長先生は子どもたちに問いかけます。「大空小学校は誰が作りますか?」子どもたちは「ひとりひとりです。」「自分です。」と答えます。さらに校長先生は子どもたちに尋ねます。「自分って誰ですか?自分だという人、手を挙げてください。」すると子どもたちは、いっせいに手を挙げました・・・そう、大空小学校は、みんなでつくる、みんなの学校なのです。

 

私はこの映画を観ている間じゅう、涙が止まりませんでした。「こういう教育は素晴らしい!」とかっていう感動じゃないんですよ。そうではなくて、子どもたちの表情、ふるまい、一生懸命さ、かけがえのなさ・・・そういったものに何度も胸を打たれ、きゅんとなり、可笑しくて笑ったり、泣いたり。気持ちが動きすぎて、せわしなかったなぁと思うくらい。まぁそういう言葉にならない部分については、ぜひとも実際に観て体感して頂きたいなぁと思います。子どもたち、子どもたちに関わる大人たち、みんなの魅力(ええとこも、弱いとこも含めて)が押し寄せてくる!?本当にいい映画です。

 

で、言葉になる部分について。つまり、少しイデオロギー的なところに関わってくる話です。

 

正直なところ、映画を観る前は「(特別な)支援を必要としている子どもも、そうではない子どもも同じ教室で学ぶ」ということの是非については「保留」でした。もちろん「そうであって欲しい」という願いを持ちながらも、すべてが一緒ということになったとしたら、今のような状況下で(特別な)支援を必要とする子どもたちに本当に必要な支援が行き届くのか・・・といったことが疑問だったのです。実は映画を観終わった今でも、その点に関しては「よく分からない」としか言えません。例えば発達障害の子どもたちにみられる知覚経験の違い(聴覚の過敏さなど)に対する配慮であったりとか、学習の進め方の違いであったりとか、そういう部分に関しては映画で全く触れられていなかったので、どうしているのかなぁと謎のままです。また、多くのお母さんがたがお子さんたちを「支援級に通わせるかどうか」苦悩し逡巡しながら決断をされているという状況を知れば知るほど、「どの決断も尊いものだ。」という思いは強まる一方です。ですから(特別な)支援を必要とする子どもたちの視点から「どうあるべきか」ということを論じることはとても難しく思うのですけれども、でも、(特別な)支援を現状必要としている子どもたちと一緒にいる私、ともに学ぶ我が子の視点から言えば、「みんなが同じ教室で学ぶ」ことには本当におおきな、大きな意味があるのだというふうに思ったのです。

 

映画の中で、別の学校で不登校になって転校してきた男の子ユヅキ君が、教室を飛び出していきます。校長先生が理由を尋ねると、プリントに「わからん」と書いて「わからんと書いたらあかん」と同級生のコクド君に言われたとのこと。校長先生はクラスのみんなを集め、ユヅキ君が前の学校に通えずに勉強ができなかったこと、勉強していないからわからないしできないのだということ、自分ができるからといって他の人も同じだと思ってはいけないのではないかということを話したうえで、「わからんと書いたらあかん」と言った同級生コクド君にこのように言います。「分かっているコクドがせなあかんのは、分からないユヅキを助けること。」

 

運動会では毎年、6年生は全員でリレーを走ります。校長先生は、みんなで走ることに意義がある、だから勝ち負けなんて関係ない、などとは言いません。そのかわりに、どうしたら勝てるのか、考えろ、工夫しろ。これは世界一難しいリレーなんや・・・支援を必要としている子どもたちをどう支援するか考え工夫をするということでもありますが、もちろんそれだけではなくて、足の速い子どもをどういかすのかということでもあるわけです。支援を必要としている子どもたちを当たり前に含みながら、それでも「勝つ」ことに向けてそれぞれを活かし合うために全力で取り組め!そんなメッセージがひしと伝わってきました。

 

これらのエピソードが教えてくれたこと。

 

もしみんなが一緒にいなかったら。
お互いが何に困っているのかも分からない。

何が苦手で、何が得意なのかもわからない。

それを知り合いながら、お互いがいきる工夫を一緒に考え、一緒に生きていく術を学びあう機会が奪われるんだ。
このことこそが、現状(特別な)支援を必要としていない子どもたちにとっても、またその親にとっても大きな損失なんだ・・・

 

ともに学ぶ必要があるのは、どちらの「側」にあるとかいうのではなく、私たち一人一人に等しくある。
思いやりとか、温情主義的な義務とかなんかじゃなく、私たち一人ひとりの「権利」なのではないか。
今ははっきりと、そう思います。

 

もちろん、ただ一緒にいればいい、わけではありません。「みんな違ってみんないい」がナチュラルに成り立つようだったら、「インクルーシブ教育」なんて言葉はそもそも必要ないわけです。色んな人が集まれば、色んな出来事が起こってくるのは当然。その一つひとつの出来事を、そこに関わるそれぞれの人が「当事者」となって考え、工夫して、解決できることは解決し、解決できないことは持ち越しながらやりくりしていく。そうした「装置」を機能させていかなければ、一緒にいてもお互いを排除するだけになりかねません。一人ひとりが-言い換えれば「ほかの誰でもないこの私が」-当事者なんだという意識をはぐくむこと。それが、大空小学校の教育なのだと思います。

 

教育だけでなく、医療や福祉も同様のことが言えるのではないかな、と思っています。その隙間にある梟文庫では、多様な人と活動が混じり合う場になっていって欲しいと願っています。

 

※別のところに書いた文章を加筆修正して再掲しています。

 

 

木村泰子前大空小学校校長が書かれた「みんなの学校」が教えてくれたこと、梟文庫にありますよ~。映画のパンフレットも置いてありますので、ぜひお手にとってご覧くださいませ。

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